服部が図書館から借りてきました。
東京育ちの私の母はいつから自分で味噌を仕込んでいたのでしょうか?
なんとなく子供のころ味噌玉を丸めて樽にぶち込んでいたのを思い出します。
18になって一人暮らしを始めてから、そのあと精神的に母と疎遠になり険悪になった時も、味噌やら畑の野菜やら定期的に送られてきました。ムカつきながらも捨てられず、美味しいといただきました。
11年前に舞鶴に引っ越してきてから、食物定期便が直で(車で15分)頻繁に届くようになりました。味噌は自分達で仕込みたいと思いながら、日々の生活に組み込めず、母のをいただけるのでフフーンとしておりましたら、今年は麹は作ってあげるから青大豆の美味しそうなのがあったから、自分達でしてみたら、と。
愛犬マロの散歩に行っている間に服部が味噌樽を用意してくれていました。ううん?臭い。ハイター臭い。えっ?私は耳は悪いけど、鼻は敏感です。臭いの無理。除菌って麹菌も死んでしまうのでは?焼き物お直しのも漆にこだわってたのに? バトルしてから、菌いっぱいそうな布巾で樽を拭いて仕込みました。大豆を潰すのは職業柄、真剣。うまくいくかしらん?
私の母の母、つまり祖母は長崎五島列島の出身です。おいしいものが大好きでした。秋田出身の祖父は毎日晩酌のお供に刺身を食べてたけど、五島の祖母は東京の生魚は美味しくないのでなし。祖母の五島の妹も美味しいのに敏感な方でした。舌は3代といいます。
私はそんなに味に敏感ではないけれど、食べるのが好きです。服部の「晩御飯食べにくる~?」に見事に引っかかりました。
「仕込みもの」、辰巳さんの歳をとればとるほど熟成された仕込みものの旨みがたまらない、の言葉が染みてきます。これも代々美味しいものを追求してきた祖母、母のおかげかもしれません。胃袋をつかまれるとnoが言えません。